・『李術を討伐する』(正史 呉主伝第二より)


 

孫権 「本題に入る前に…まず俺が兄上(孫策)の後を継いだばかりの頃、どんな状況に置かれていたのか、

     それを話す必要があるな」

管理人「孫策さんが、許貢の食客によって暗殺され…孫権さんがその後を継がれたのは建安五年(200)

     のことですよね」

孫権 「俺が後を継いだ当時、呉がおさえていたのは、会稽・呉郡・丹楊・豫章・盧陵だけで、

     しかも、これらの郡の中でも、奥地の険阻な地域は全てが服従しているわけではなかったんだ」

管理人「不服住民の山越族なども、いましたものね」

孫権 「そうだな。それに当時は、天下に名の通った英雄・豪傑たちが各地の州や郡におり、その下に

     賓客となり寄寓している人物たちも、情勢を見て、どの人物に身を寄せるべきかを物色している

     のが実情だった。だから、まだ主君と臣下の関係は固まってはいなかったんだ」

管理人「なるほど…つまり孫権さんは、もし力量が無いと判断されれば、すぐ見限られて他に行かれて

     しまうという、極めて差し迫った状況下にあったのですね」

孫権 「ああ、そうだ。だが幸いなことに、まず張昭・周瑜は俺を支えてくれたし、それに曹操が、取りあえず

     江東・江南の経営を俺に任せる方針をとったので、兄上の死に乗じて攻め込まれずにすんだ。

     取りあえずは、助かったわけだな」

管理人「正史の『張紘伝』によると…『曹操は、孫策が逝去したと聞くと、その死後のごたごたに乗じて

     呉を伐とうと考えた。張紘はそれを諌めて、他人の死に乗ずるのは、古(いにしえ)のおきてに

     外れるのみならず、もし事がうまく行かなかった場合には、怨みを買い好(よしみ)を棄てること

     になるので、むしろこれを機会に恩義を施しておくに、しくはない、との意見を述べた。曹操は

     この言葉を納れて、直ちに上表して孫権を討虜将軍に任じ、会稽太守の職務にあたるよう

     取り計らった』…ということですね。なるほど、この時、北に居た張紘さんが助けてくれたのですね」

孫権 「張紘は、建安四年(199)に、兄上の使者として許都の宮廷に赴き、上章文を天子にたてまつった

     のだが、そのまま曹操によって許都に引き留められていたんだ。だから、兄上が亡くなられた時には

     曹操のところに居たんだ。それに、曹操はこの当時、官渡で袁紹軍と対峙している最中だった

     から、俺とは対立しない方が良いという判断もあったのだろうな」

管理人「でも、それで呉の内部が完全にまとまったわけでは、なかったのですね?」

孫権 「ああ、そうだ。残念ながらな…。例えば、従兄の孫ロが、配下の軍吏や兵士達を率いて、会稽郡を

    占領しようとしたという事件があった。まあ、この時は虞翻の説得によって、孫ロは引き上げたから

     事は起こらずに済んだんだけどな」

管理人「あと、従兄の孫輔さんが、曹操さんと好(よしみ)を通じたということもあったようですね…」

孫権 「ああ、詳しくは『従兄を処罰する』で取り上げているが、俺では江東の地を保持していけない

     だろうと心配した孫輔が、曹操に手紙で挨拶を通じようとしたものの、事が露見し、罰せられた

     という騒ぎもあった。…あと、これら従兄の行動以外にも、いくらか離反の動きはあるんだけどな」

管理人「その中の一つが、今回取り上げる李術さんの離反なのですね」

孫権 「正史の注釈に引用されている『江表伝』に記述があるのだが、兄上に廬江太守に任じられていた

     李術は、兄上が亡くなられると、俺の命令に従わず、しかも呉からの亡命者を多数その下に

     受け入れていた。俺は公式の文書を送って、亡命者の返還を求めたのだが、李術は

     『徳ある者は人々から頼られ、徳の無い者は人々に叛かれるのであります。返還するわけには

     まいりません』などと返事をしてきやがった」

管理人「う〜ん、亡命者を返還する気なんて全く無さそうな返事ですね…」

孫権 「俺は腹を立て、まず曹操のところに手紙を送って、こう言った『厳刺史(厳象)どのは、かつて

     あなたの部下であったこともあり、また私を州から中央に推挙して下さった方でもあります。

     しかるに李術は、凶悪にして、漢の掟をないがしろにし、州の司(おさ)たる厳刺史どのを殺害し

     ほしいままに無道を行なっております。すみやかに彼を誅滅して、悪人どもを懲らさねば

     なりません』…」

管理人「厳象さんというのは、孫権さんを茂才に推挙した方ですよね。正史『孫策伝』に、曹操さんが

     ひとまず孫策さんを手なずけようとし、その手立ての一つとして『揚州刺史の厳象に命じて

     孫権を茂才に推挙させた』という記述があります。李術さんは、その厳象さんを殺していたのですね…」

孫権 「…『いま彼(李術)を討伐しようといたしますのは、大きくいえば、わが朝廷のために悪党の親玉を

     除こうとするものであり、個人的には、私を推挙して下さった方のために仇を報じようとするもの

     です。これぞ天下に恥じるところのない正義の行動であり、夢寐にも忘れぬ心からの願いでござ

     います』…」

管理人「なるほど…ここでは、李術さんを討伐するのは、厳象さんの仇をうつためだとして

     大義名分を立てたのですね」

孫権 「それから『李術は、きっと誅殺されんことを恐れて、またもや、でたらめの弁解を並べ立てて

     あなたさまに救援を求めてまいりましょう。明公(あなたさま)がおられる阿衡(宰相)の任は、

     [公正さを示すものとして]天下のすべての者が仰ぎ見ておるところでございます。どうか担当の

     官に命じられ、もう李術の申すところを聴き入れられませんように』と、このように、俺が李術を

     攻めても、李術を助けるな、と曹操に根回ししておいたわけだな」

管理人「それでその年、孫権さんは兵を動員して、李術さんを皖城に攻めたのですけれど、

     李術さんは、城門を閉ざして守りを固め、曹操さんに救援を求めたのですね」

孫権 「だが、曹操は救援の軍を出さなかった」

管理人「孫権さんが前もって送った書状がありましたし、曹操さんは前述したように、この時は孫権さん

     との対立を避ける方針をとっていましたからね…それで李術さんは、どうなったのですか?」

孫権 「李術の側は食料が尽き果て…女たちの中には、泥を丸めて呑んで腹を満たしたりする者も

     あった…」

管理人「やがて、皖城を攻め落とすと、李術をさらし首にして、その部下の兵士たち3万余人を強制移住

     させたのですね。…これはきっと、見せしめになったのでしょうね、離反する者はこうなるぞと。

     それに、孫権さんの力を示すことにもなったのでしょうね」

孫権 「まあ、そうだな。しかし…俺も後を継いだばかりの頃は、色々と苦労があったなあ…(しみじみ)」

 

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