・「曹操軍の矢で、船を安定させる」(正史より)

管理人「今回はこの場面です」

孫権 「あれは…確か建安十八年(213年)の濡須での、曹操軍との戦いだったな。俺はその戦いの時に

    大きな船に乗り、自ら曹操陣営の偵察をしたんだ」

管理人「おお、自ら…それはカッコイイですね!」

孫権 「だが、曹操に発見され、曹操軍に弓・弩をめったやたらに射かけられたのだ」

管理人「ええ!孫権さん、ピンチ!! ( ̄□ ̄; 」

孫権 「矢が船につきささり、船の一方だけが重くなって、ひっくり返りそうになった。そこで俺は、船を廻らせ

     船の別の面で矢を受けた。すると、ささった矢が平均して船が安定したところで、俺は自軍に引き

     上げた…」

管理人「正史の注に引く、『魏略』にそのお話が載っていますね。孫権さん、危機一髪なところを知恵で乗りきり

     ましたね♪とにかく、ご無事でよかったよかった(^^)」

孫権 「ところで、この俺のエピソードが『三国志演義』では、孔明が十万本の矢を集める話のもとになった

    そうだが…」

管理人「そうらしいです。孔明さんの矢集めの話というのは…孔明さんが夜の霧に乗じて曹操さんの

     水陣まで二十艘の船団で接近すると、敵の来襲かと動転した曹操軍が矢を雨あられと射かけ、

     その矢は全て船や、船にのせていた草束に刺さった。船一艘につき矢は五、六千本にものぼり、

     孔明さんは十万本の矢を曹操軍から手に入れた…簡単に言えばこんな話しです。『三国志演義』の

     赤壁の戦いで出てくる場面ですね」

孫権 「簡単すぎるぞ、お前の説明。あてにならないな…」

管理人「うっ(^_^;)本当はどうして孔明さんが十万本の矢を集めるのか等も説明しなければならないのですが

     時間が無いので省略させていただきます。 それで吉川英治著『三国志』8巻の巻末に収録されて

     いる『「三国志」「三国志演義」と吉川「三国志(四)』(立間祥介)によると、今回の孫権さんのエピソード

     を宋・元の講談作者が、周瑜さんが夜陰にまぎれて曹操軍から十万本の矢を手に入れる話にしたてて

     『三国志演義』で孔明さんのエピソードとして書かれた…ということだそうです」

孫権 「演義では、孔明を目立たさせるために呉は酷く書かれていたが…その上、俺のエピソードまで孔明に

     取られていたのか!」

管理人「そうですね…。演義での扱いの酷さといえば、特に周瑜さまや呂蒙さんは…(泣)」

孫権 「納得できないな…」

管理人「まあまあ、落ちついて…。ちゃんと今回、孫権さんの名場面として取り上げたんですから

     良いじゃありませんか(汗) 」

 

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