『呂蒙に勉強をすすめる』(正史 呂蒙伝)

管理人「今回は、孫権さんが呂蒙さんに勉強をすすめた場面を取り上げます」

呂蒙 「こんにちは。呼んで頂いて嬉しいです。宜しくお願いします!」

管理人「こちらこそ♪では話を始めますね。

     正史の注に引用されている『江表伝』によると…ある時、孫権さんが呂蒙さんと蒋欽さんに

     『あなたがたは今、ともに権要の地位にあって万事を処理しているのであるが、学問をして

      自らの知識を広くすることも必要であろう』と、勉強することをすすめたのですよね」

呂蒙「そうです。ですが、俺は『軍中にあって常に職務の多忙に苦しんでおり、書物を読むような暇は

    得られぬのではないかと存じます』と言いました」

管理人「なるほど。忙しくて勉強する暇はないというのですね。確かに、お仕事忙しそうですよね〜。

     勉強できないのも無理はないと思います」

呂蒙「ですが、そう申し上げたら…殿に『私がどうしてあなたに経典を研究して博士になって欲しいなどと

    願ったりしよう。ただ広く往事を見て欲しいと思うだけなのだ。あなたが職務が多忙と言うが、

    私と比べてどれほどのことがあろう。私は若い時代に、

    『詩経』(※注1)『書経』(※注2)『礼記(らいき)』(※注3)『左伝』(※注4)『国語』(※注5)を次々と学び、

    ただ『易』(※注6)だけは読んでいない。国政を執るようになってからも三史(『史記』(※注7)・

     『漢書』(※注8)・『東観漢記』)や諸家の兵書に目を通して、自分では大いに有益だった

     と思っている』と、言われてしまったのです」

管理人「忙しいということは勉強をしない理由にはならない…ということですかね」

呂蒙 「はい。確かに、ご主君の仕事は我ら家臣達の仕事よりも、ずっと大変そうですからね…。

     そのご主君が、お忙しい政務の間に学問されているのに、俺が「忙しいからできない」というのは

     通用しませんよね」

管理人「『何も博士になれというのではなく広く事を見て欲しいから』という孫権さんの言葉は、学問することを

      そこまで深刻に考えなくても良い…という意味にとれますよね。こう言われると、少し気が軽くなる

      ような感じがします」

呂蒙「ご主君も、沢山の書を読んで学ばれていますからね」

管理人「(書に関しては分かる物だけ簡単に調べて、一番下に注をつけておきました。簡単すぎる説明ですが)」

呂蒙「さらにご主君は、私と公奕殿(蒋欽)に『あなた方二人は、聡明で理解力も優れているのであるから、

    学べば必ず得るところがあるに違いない。やってみられずに良いものであろうか。

    急ぎ『孫子』(※注10)(※注9)『六韜』『左伝』『国語』、それに三史を読まれるが良い』と言ってくださいました」

管理人「おお、さしあたって何を読めば良いのか教えてくれたのですね。いきなり学問をしろと言われても、

     何をすれば良いのか分からなくて戸惑いそうですよね。とりあえず何をすれば良いのか教えてくれる

     のはありがたいですよね(^^)」

呂蒙「はい。続けてご主君は『孔子が言われた『終日食事もとらず、終夜寝ることもなく思いをめぐらせても、

    それは無益である。学問をするにしくはないのだ』と。光武帝は、軍務の間にあっても書物を手から

    離されることがなかった。孟徳(曹操)も、老いてますます学問を好むようになったと申しておる。

    あなたがただけがどうして学問に励むことをされないのか』と言われたのですよ。そこで俺は初めて

    学問を頑張りました!」

管理人「なるほど。孫権さんは、学問をすすめるのに歴史上の人物の例をあげたのですね」

呂蒙 「ご主君も、勉強熱心な方ですよ」

管理人「でも、書物を読んだというのは孫権さんが自分で言っていることですから、本当かどうか分かりませんよ?」

呂蒙 「いえ、ご主君は本当に学問に励んでおられますよ。だからこそ、俺も触発されてやる気が出たのです」

管理人「…確かに、『孔子が…』とか『光武帝が…』という辺りから、孫権さんも学問をしていることが分かりますね。

     学問をすすめる孫権さん自身が勉強していなければ、説得力もありませんしね。…それにしても、凄いのは

     その後の呂蒙さんですよね。呂蒙さんは熱心に学問を頑張って、読んだ書物の量はもとからの儒者でも

     太刀打ちできないほどになった…と書いてありますから」

呂蒙「いいえ、俺はそんな…大したことではないですよ」

管理人「そんな、謙遜しなくても良いですよ♪のちに魯粛さんが呂蒙さんを訪ねて談論した時も、魯粛さんのほうが

     呂蒙さんに言い負かされそうになったほどですから。魯粛さんも『私はあなたが武略一点ばりだと思って

     いたのだが、今では学識もすぐれてひろく、呉の町(蘇州)にいたころの阿蒙(蒙ちゃん)とは見違えた』

     と誉めていらっしゃいますものね(^^)」

呂蒙「そんな…そんなに誉められると照れてしまいますよ」

管理人「そして、それに答えて呂蒙さんが言われた『士、別れて三日、すなわちさらに刮目してあい待す(士たるもの

     三日会わずにおれば〔その間にどんな成長をするやも知れず〕全く新しい目でもって彼を迎えねば

     ならぬのです)』の言葉も名言ですよね。本当に立派な成長を遂げられたからこそ言える言葉です」

呂蒙「いえ、何だか俺のことまで紹介してくださって申し訳ないです」

管理人「孫権さんも誉めていらっしゃいますよ。孫権さんは常々賛嘆して『ちゃんとした大人になってからも

     積極的に自己の向上をめざす。そうした点では呂蒙と蒋欽とに及ぶ者は無かろう。富裕になり貴顕の

     地位にありながらも、思い高ぶることなく学問に心を注ぎ、経典や注釈書を心から好み、財貨を軽ん

     じて義をたっとぶことができ、その行いは人々の模範となって、二人そろって国を代表するような

     人物であるというのは、まことに素晴らしいことではないか』とおっしゃられていたそうですから(^^)」

呂蒙 「公奕殿は、とても素晴らしい方ですよ」

管理人「そうですよね。孫権さんのお二人を見込んでの学問のすすめも、見事効を奏しましたね。

     私もお二人を見習って、時間がないなんて言い訳せずに色々なことを頑張りたいと思います」


注1:『詩経』…中国最古の詩集。五経(儒学の五つの経典)の一つ。殷代から春秋時代にかけての詩三千余編を

         集め、孔子が刪(けず)って三百十一編(うち六編は題名のみが伝わる)とし、儒教の経典としたもの。

注2:『書経』…五経の一つ。尭・舜から周を経て、秦の穆(ぼく)公までの政道についての記録。    

注3:『礼記』…五経の一つ。四十九編。周の末から秦・漢時代の儒学者の礼に関する理論と実際との記録を

         集めた書。

注4:『左伝』…『春秋左氏伝』の略称であり、『春秋』の注釈書。

         ※『春秋』…五経の一つ。魯の国の史官が記した編年体の記録を、孔子が手を加えて編纂したもの。

                魯の隠公元年(前722)から哀公十四年(前481)に至る、ニ百四十二年間の簡単な記録。

注5:『国語』…二十一巻。春秋時代の諸国の事件を国別に記す。

注6:『易』…『易経』のこと。二巻。占いの書。占いの法によって倫理道徳を説いている。

注7:『史記』…百十三巻。前漢の司馬遷の著。上古の伝説時代から前漢の武帝に至るまでの事跡を記述した歴史書。

注8:『漢書』…歴史書。百二十巻。後漢の班固が父・班彪の志を継いで書いた前漢一代の記録。

注9:『孫子』…中国最古の兵法書。孫武(孫子)が著したといわれるが、孫武のはるか後の子孫である、戦国時代の

         斉の兵法家孫ピンの作ともいわれる。

           ※孫武(孫子)…春秋時代の斉の人で、兵法を以って呉王闔廬に仕え、諸国を攻略して大功を

                     立てた。後世、呉子とともに兵法家の祖とされる。

注10:『六韜』…兵法書。呂尚(太公望)の著と伝えられる。


 

      

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