「権ちゃん、かぼちゃを作る」(孫権墓のレリーフより)


孫権墓には「南瓜作りをする孫権」のレリーフがあるという話しを聞いてから、ずっと見たい見たいと思って

いたのですが、ついにその姿をこの目で見ることが出来ました!

まずは、この写真をご覧下さい↓

 


(この写真は介子嘉さんに頂きました。ありがとうございました!)

この写真は、孫権墓にあるレリーフで

「南瓜を育てている孫権のところを、張飛が訪れている場面」を描いているそうです。

しかし何故、孫権が南瓜を…そして何故張飛が!レリーフの下にある説明書きらしきものを読めばその

謎も解けるのでしょうか?ああ、読んでみたい!でも読めない…。

仕方がないので、ここでは「何故、孫権が南瓜作りをしているのか」「何故、張飛が孫権を訪れているのか」

この二つの謎について考察していきます。

とは言っても私の書くものですから、ネタに走ったトンデモナイものです。

真面目な文章を期待されていた方はお許しを〜(^^;)どうか、心を広くお持ちになって下さい(^^;;

怒り出さないで下さい(^^;;;;

 

謎の解明に移る前に、まずは写真をよ〜く観察してみましょう。

・まず、孫権の顔には髯が生えているように見受けられます。髯が生えているということは、ある程度の年齢に

 達しているのでしょう。孫権は19歳の時に、若くして呉の主君になりましたが、このレリーフの孫権は

 どう見ても19歳以下には見えません。

 つまり、この南瓜作りの時には、すでに孫権は呉の主君となっていると考えられます。

 (張飛は、孫権が皇帝に就任する前に亡くなっていますから、まだ皇帝にはなっていないと考えられます)

 何故に、呉の主君ともあろうお方が南瓜作りを?謎は深まるばかりです。

・頭には…日よけ用でしょうか?麦わら帽子のような物をかぶっています。なかなか似合っています。

・服装は…普段着ているであろう豪華な衣装を脱ぎ捨て、飾りもない質素な着物を着ています。

 足に履いている靴も,見れば見るほど長靴のように見えてきます。腕まくりもして、やる気まんまんです。

・腕には…大きな南瓜の入った手提げのかごを持っています。南瓜の獲り入れ中なのでしょうか?

 左手を上げて、張飛に挨拶しています。親しげです。張飛も右手を上げて挨拶をしています。

 心なしか、張飛もにこやかです。

(観察結果)

南瓜作りをする孫権は、呉の主君には見えません。まるっきり農家のおっさんです。

 

では本題に移りましょう。「何故、呉の主君・孫権が自ら南瓜作りをしているのか」そして

「何故、張飛が来ているのか」。この二つの謎について、いくつか仮説を考えてみました。

なお、史実的な根拠は何一つありません。あくまで私の勝手な妄想の暴走ですので(^^;)

そこのところは御了承下さりませ<(_ _)>

 

では、まずは

「何故、呉の主君・孫権が自ら南瓜作りをしているのか」についての仮説を挙げてみます。

 

1、「南瓜が好きだった」

   …孫権はお酒だけでなく、南瓜も好きだったのかもしれない。自分で作れば、いくらでも好きな南瓜が

     好きなだけ食べられると思ったのかもしれない。宴会でも家臣に、自作の南瓜で作った料理を

    御馳走していたかもしれない。食べられない家臣には「俺の南瓜が食えんのか〜?!」と脅していたの

    かもしれない。

2、「民と苦労を分かちあうため」

   …正史 孫権伝によると、黄武五年(226)、各地で穀物が不足していることから、陸遜が上表して

    部将たちに命じて農地の開墾に努めるようにさせて欲しいと述べた。孫権はそれに対して

  「はなはだ良い意見だ。今われわれ親子もみずから田地に割り当てを受け、これまで車をひかせてきた

   八頭の牛でもって四組の耒(すき)をひかせるとしよう。そうすることによって、古人の立派さには

   及ばないまでも、民衆たちと労苦を共にしたいと願うのだ」と答えたとのことです。

   この台詞に見えるように、「農作業にいそしむことによって民と労苦を共にする」という意味が、この南瓜

   作りにもあったのかもしれない。

3、「実は財政難だった」

   …実は、呉の国の財政は火の車だったのかもしれない。主君自ら南瓜を作って、それを売ってお金に

    変えていたのかもしれない。そうしなければならないほど、呉の宮廷はビンボーだったのかもしれない。

    南瓜は「孫権お手製の南瓜」として、市場を出まわっていたのかもしれない。

4、「ただの趣味」

   …孫権の趣味といえば虎狩りが有名だが、虎狩りは危険だから…と、安全な趣味を持とうとしたのかも

    しれない。そして選ばれた趣味が、畑仕事だったのかもしれない。

    もしかしたら、張昭に無理矢理に畑仕事に決められてしまったのかもしれない。

5、「敵を油断させるため」

   …劉備は曹操を油断させるために、自ら畑を耕し野菜を育てて、すでに自分は天下への志を失った

     ように見せかけたという。孫権もそれに倣って、敵を油断させるために南瓜作りにいそしんでいたの

     かもしれない。大したことのない奴だと、思わせようとしたのかもしれない。

 

では、次に「何故、張飛が来ているのか」についての仮説を挙げてみます。

 

1、「二人は飲み友達だった」

    …孫権と張飛。この二人は、どちらも酒飲みである。この二人の酒好きは、三国志でも有名である。

     お酒好きな者同士、孫権と張飛の間には国を越えた友情が芽生えていたのかもしれない。

     二人は共に酒を酌み交わす、酒飲み友達だったのかもしれない。孫権が南瓜作りをしている時に、

     たまたま張飛が「共に酒を飲もう」と遊びに来たのかもしれない。

2、「南瓜を買いに来た」

    …孫権の作る南瓜は、美味しいと評判だったのかもしれない。その評判は、他国にも伝わっていたの

      かもしれない。張飛もその評判を聞きつけて「是非、食べてみたい!」と、孫権の畑に直接買いに

      来たのかもしれない。

3、「呉に偵察に来ていた」

    …張飛ほどの重要な立場にいる人物が、軽々しく他国に偵察に来るか?という疑問は置いといて…。

     張飛は、呉の内情を深く探りに来たのかもしれない。南瓜を作る孫権の姿を見つけ「何だ、孫権も

     大したこと無い野郎だな」と思ったのかもしれない。そして、馬鹿にして笑いに来たのかもしれない。

4、「実は、蜀の南瓜畑だった」

   …孫権の方が、農民のふりをして蜀の内情を偵察していたのかもしれない。

     何故に呉の主君が自ら偵察を…という疑問は、置いといて…(笑)

     たまたま張飛がその畑の傍を通りかかって、「よお、頑張っているな」と労っているのかもしれない。

     (でも碧眼紫髯の農民がいたら、どう考えても目立ちますよね)

    

…以上です。ああっ、石を投げないで下さいね (((((((^^;)

「孫権と南瓜」「孫権と張飛」、この意外と思われる組み合わせについて、色々考えるのは楽しいということで…

見逃して下さい〜!!!

あのレリーフの下の説明書きを読めば、謎は解けると思われますが…ああ、実際に孫権墓に行って

解読してみたいです!謎が解けるまでは、あれこれ想像を膨らませて楽しんでいこうと思います(笑)

最後まで読んで下さった方…ありがとうございました!

 

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