皇后の位を追贈する(正史 歩夫人伝より) 管理人「何だか背景が…とっても気になるのですけれども、今回は、この場面を取り上げます。 孫権さんが皇后の位を追贈された歩夫人さんにも来て頂きました♪」 歩夫人「呼んで頂けて、とても嬉しいです♪宜しくお願いしますv」 管理人「こちらこそ、宜しくお願いします。それでは、まず歩夫人さんについての紹介から…歩夫人さんは 丞相になられた歩隲さんとは同族にあたる方なのですね」 歩夫人「はい。私は臨淮郡の淮陰の出身で、漢の末年、母に連れられて廬江という所に移住し、廬江が 孫策さまに破られると、一家で長江を渡り江南へ移り住んだのです」 管理人「そして、歩夫人さんは容貌の美しさで孫権さんに愛され、その寵愛は後宮中第一だったと正史に 書かれています。歩夫人さんは、随分と孫権さんに大切にされたのですね♪」 孫権 「歩氏は美人だからな♪」 歩夫人「まあ、殿ったら…(嬉)」 孫権「とはいっても、俺が歩氏を寵愛したのは、美人だからだけではないぞ。歩氏は嫉妬を知らない 性格で、後宮の他の女たちの後ろ楯になるような心やさしいところもあったからな。そのような 性格も気に入ってのことだ」 歩夫人「殿ったら、そのように思っていて下さってたなんて…とても嬉しいです♪」 管理人「(見せつけられてる^^;)…え〜と、それだけ仲の良かった孫権さんと歩夫人さん。お二人の間には 娘さんがお生まれになったのですよね」 歩夫人「ええ。私は、魯班と魯育という二人の娘を産みました」 管理人「上の娘さんが魯班、字は大虎…下の娘さんが魯育、字は小虎…というのですね。大虎に小虎… 女の人の字にしては強そうで勇ましすぎる名前ですね^^;」 孫権 「そうか?強くて格好良いと思うが」 管理人「子供も生まれて、何も言う事ないほど孫権さんと歩夫人さんは上手くいっていたのに…歩夫人 さんは皇后にはなれなかったのですよね?」 孫権 「もちろん、俺は皇帝になると歩氏を皇后にしたいと思った。しかし群臣達は徐氏を皇后にするべき だと主張したもんだから…駄目だったのだ」 管理人「徐氏というのは、孫権さんの奥さんの一人である徐夫人さんですよね。どうして家臣の皆さんは 徐夫人さんを皇后にするべきだって言われたのですか?」 孫権 「徐氏は俺が討虜将軍として呉(蘇州)にあった時に娶った妃で、長男の孫登の母がわりとして 養育にあたらせていたんだ。俺が皇帝の位につくと孫登が太子になったから、その母親がわり の徐氏を皇后に立てるのが良いとの理由からだろうな。だけど、徐氏は嫉妬深くてな…嫌になった ので俺は呉から他に根拠地を移す時に、徐氏を廃してそのまま呉に住まわせておいた」 管理人「そのような経緯があったのですね。でも、随分勝手なことしていますね〜。気に入らないから 廃すなんて…」 孫権 「だから、徐氏ではなく歩氏を皇后にしたかったのだ…それなのに群臣たちは反対するし…。 孫登も太子に立てられることになった時に、それを辞退して『根本が確立されてこそ、正しい道 も生じてくるのでございます。もし太子を立てられるなら、まずその母親を皇后に立てられるべき でございます』等と言ってな。登の母親は身分が賤しくて後宮に入れなかったから、俺は 『そなたの母親はどこにおるのか』と尋ねてみると、登は『呉のまちにおります』などと答えたのだ」 管理人「つまり、呉にいる徐夫人さんこそ自分の母同然で、自分を太子にするなら徐夫人さんを皇后に 立てるべきだと孫登さんは意見したのですね♪孫登さん、とても優しい息子さんですね」 孫権 「息子にまでこのようなことを言われるとはな…」 管理人「…家臣の方々や、息子さんも徐夫人さんを皇后にするべきだという意見だったのですね。 それで孫権さんは、歩夫人さんを皇后にしたくてもできなかったのですか」 孫権 「そうだ。そしてこの問題には、俺も決着がつけられないまま十余年が経ってしまった」 歩夫人「ですが私は、宮中では皆に皇后と呼ばれましたし…親戚の方達が上疏される場合にも私は中宮 と呼ばれておりましたよ」 管理人「中宮って何ですか?」 孫権 「中宮は皇后のいる宮殿のことで、それを借りて皇后をも中宮といったんだ」 管理人「では歩夫人さんは皇后の位につかれていなくても、実質的には皇后としての扱いを受けていた のですか」 孫権 「だが、本当に皇后の位につけられないうちに、歩氏は死んでしまったのだ…」 管理人「そして臣下の方々は孫権さんの意向を受けて、亡くなられた歩夫人さんに正式に皇后の位を 追贈されるように申し出られたのですね」 孫権 「そこで、歩氏に皇后のしるしの印綬を贈り、策命を下した。策命というのは…」 歩夫人「皇后に冊立するための任命書のことです」 管理人「その孫権さんの言われた策命の内容が残っていますね。『ああ皇后よ、あなたこそは私が天命を 遂行するための補佐者であり、二人して天地の秩序に慎み従ってきたのであった』と始まり、 まず歩夫人さんについては『あなたは日夜敬虔につとめて、朕(わたくし)と苦労を分ち、主婦として 奥むきのことを修め正されて、礼の根本に違うことなく、心は寛く思いやり深く、貞淑の徳を しっかりと身につけておられた。臣下たちも民衆たちもはるかにあなたを仰ぎ見て、遠い者も 近い者も皆あなたに心を寄せた』とあります。歩夫人さんの人柄が覗える文章ですね♪」 歩夫人「そんな…誉め過ぎです(汗)」 管理人「『朕は世の中の困難がまだ取り除かれず、天下の統一がまだ果たされていないところから、 あなたの御心にそって常に謙嬢をむねとし、それゆえ急いであなたに皇后の名号を授ける ことはしなかった』とありますが…。ちょっと言い訳のようにも感じられます^^; 確かに天下統一がされていないから控えたという部分もあったかもしれないですが、ただ単に 臣下の方々に反対されたから歩夫人さんを皇后にできなかっただけでは?」 孫権 「………」 管理人「それで、急いで歩夫人さんを皇后にしなかったことについては『それはあなたが天から長寿を 受けられて、末永く朕とともに天の下された素晴らしい恩恵に答えてそれを宣揚してゆくことが できるであろうと考えていたからでもあった。〔しかるにあなたは〕思いがけなくもたちまちに世を 去られ、ご寿命は長くはなかったのである』とあります。つまり…そんなに早く歩夫人さんが 亡くなられるとは思っていなくて、まだまだ大丈夫だろうと油断して問題に決着つけなかったら、 歩夫人さんが亡くなってしまったと」 孫権 「何だか、お前の解釈だと随分と俗っぽくなるな…」 管理人「そして『朕は〔あなたを皇后にしたいという〕かねての気持を早く明らかにしておかなかったことを 心残りに思い、あなたが逝去されて、天の授けられるしあわせを十分に享受されることが なかったことを悲しみ、深い哀惜の念は、わが心を痛ましめる』とあります。孫権さんの、 歩夫人さんを失った悲しみがよく表されていますね…」 歩夫人「殿がそれほどまでに私のことを想っていて下さっていたなんて…(感涙)」 孫権 「…『いま使持節・丞相・醴陵(れいりょう)侯の顧雍を遣わし、策書を奉じて皇后の号を授け、 先王さまがたに並んでお祭りをおささげする。もし皇后の魂に霊妙な働きがあるならば、この 特別の栄誉を喜んでくれるであろう。ああ、哀しいことである』と、ここまでだな」 管理人「歩夫人(歩皇后)さんは、孫権さんの陵(墓)に葬られた…のですね。ですから、生前は歩夫人さん は皇后にはなれなかったのですが、死後に皇后位を追贈されたので歩皇后なのですね」 歩夫人「殿の心遣い、本当に嬉しいですわ♪」 管理人「う〜ん、徐夫人さんへの扱いの悪さも目立ちましたが…でも、孫権さんの歩夫人さんへの愛情が 色々と感じられましたね(^^)というか、仲の良さを思いっきり見せつけられたような…(^^;) 」
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