孫権の恋心


呉――
春一番吹き上げるこの呉の地に於いて、呉王孫権の心も其の風が彼の体の中へ入り込んだかのように吹き荒れていた。
理由は一つ、彼の想い人、魏王の妻、颯紫(きらな)をどの様にして得るかであった。
手の付けられていない軍師、文官からの報告書を前に、彼は深いため息を一つ付くと、椅子からゆっくり立ち上がり、その場を立ち去る。
彼の足取りは重く、耳の中をつき抜けるような強風を意識せず、俯きながらある者の部屋へと向かっていた。
「周瑜よ、聞いてほしい事があるのだが…」
孫権は相手が今何をしているかも確認せず、扉を開け、そう言い放った。
運良く、其の時周瑜は書物を前にしていただけであったが、突然の来客に驚き、椅子を蹴落とす形で立ち上がって孫権の姿を確認したのだ。
「と…殿? 一体如何名されたのですか?」
「…颯紫がほしいのだ」
「……」
またか…と周瑜は心の中で呟く。 孫権は、まだ弱冠になったばかりであり、恋ごとにはまだ青く、心乱すこと多いだろうと理解していたが、此処まで重症になるとは思ってもいなかった。 
きっと、今日の午後に話し合う予定の、文官達が予てから提案している、新たなる灌漑技術などに目も通していないのだろう…
俯き加減の孫権の顔を見ながら、周瑜は如何すればこの呉の未来を背負う青年が恋の病から癒えてくれるかを思案していた。
「どうしても颯紫殿ではなくてはいけないのですか?」
其の言葉を聞き、孫権は怪訝そうに周瑜の顔を見る。
「ならば聞こう、お主は玲流(れいる)でなくても、どんな女でも同じように愛せるのか?」
間抜けなことを… 碧眼の目を細めて、彼は呉の天才といわれた者の知性を疑った。
「いえ、其の様なことできません。 殿の知る通り、颯紫殿は魏王の妻です。 殿がどうしても、と切願するなら
この周瑜、なんとかして奪ってきましょう。
 しかし、そのようにしても、永遠に颯紫殿は殿に心許すことは無いでしょう。 殿、私は人の心を変える術は知りませぬ。 ご自身の恋する者が近くに侍っていても、其の者の心が他にあっては、お心、日々寂しくなってゆくだけですぞ」
  周瑜は再び俯き始めた孫権の肩に目を落とし、言葉を続ける。
「実は、殿には御内緒で、私と玲流は、きっと殿が心惹かれるだろうという者を探し見つけ出してきました。 
よければ、今夜にでもお会いになってください。 そちらへ向かわせるように言いつけておきますので…」
承諾したのか、してないのか、孫権は何も言わず肩を落としたまま、周瑜の部屋を去って行く。 周瑜はその後姿を見つめながら大きく溜息をつくのであった。
其の夜――
一人の女が孫権の部屋の前に立ち、深呼吸をしていた。 言わずと知れた、周瑜と玲流が見つけ出したと言う、女である。
  背筋真っ直ぐ、鋭敏さと、体力を持ち合わせている体つきをし、澄んだ目をしている女であった。 彼女は扉をゆっくり開け、其の部屋の中にいる者に 声をかける。
「孫権様。 私、周瑜様のお使いで参りました。 よろしいでしょうか?」
しかし、答えはない。 暫く女は待っていたが、覚悟を決めたのか了解を得ないまま部屋の中に入り、扉を閉めた。 薄暗い部屋をゆっくり歩きだす、衣擦れの音だけが部屋の中を響かせる。
女の目が探している者を見つけ出すと、それに向かって躊躇わず足を進めた。 彼は寝床に仰向けになり、両手を頭の後ろに組み枕にしていた。 女は彼が寝ていると思っていたが、よく見ると目は開いたまま天井を見つめていた。
「孫権様…」
女が再度彼の名を呼ぶと、虚ろな目をしたまま其の顔を女へと向けた。
「…颯紫か?」
其の言葉を聞き、女は目を丸くして孫権を見据える。
  「私が、其の女に見えますか?」
そして、女は構わず孫権の上に馬乗りになり、彼の前に自分の顔を近づける。 此れに驚いた孫権は、上半身を急いで起こす。 女はその勢いで後ろへ倒れた。
「無礼な、貴様何者だ!?」
彼は自分の足の上に上半身を乗せて仰向けになっている女の姿を始めて認識した。 女は急いで、上半身を起こし、しかし、孫権の大腿の上に乗っかったままもう一度言った。
「私が、颯紫と言う女に見えますか?」
「? いや… それよりっ」
「それでよろしいのですわ。 では、よろしくお願いいたします」
そう言うと、女は上着を外し、夜着だけになった。 
「な…なっ…」
驚きのあまり、孫権は言葉が出ない。 其れを気にすること無く、女は微笑んでいる。
「私、周瑜様と玲流様から、今夜から孫権様に侍るように言いつけられましたの。 ”殿の目を覚ましてほしい”とね。 私、以前から孫権様をお慕いしていましたから、喜んでこの役受けましたの。
 不束者ですが、よろしくおねがいします」
女は未だ、孫権の上に乗ったまま軽く会釈をした。 孫権は眩暈がしたのか、後ろへと倒れこみ、右掌で額を抑えていた。
  やがて、混乱を何とか整理付けたのか、孫権は、口の中で周瑜の奴め、と呟き、今一度自分の上に居る女を見る。
女は微笑んで孫権を見つめている。 此れほど無礼な女は見たこと… と思ったとき、颯紫と始めて出会った時のことを思い出した。
あの時も、孫権は颯紫を無礼な奴、と感じたのが始まりだった。 きっと周瑜がこの女に幾つか言い聞かせたのだろう、颯紫のように振舞えと…
そう理解すると、周瑜も、この女も滑稽に思えて、孫権は笑い始めた。
  「ど…如何名されたのですか!?」
女は不安そうに笑い続ける孫権を心配そうに見つめる。 其れを横目で孫権は見ながら、やはり先ほどまでのは演技であったと確信し、女の右腕を掴むと自分の上から振り下ろし、寝床の上へ押し倒した。
「演技して、私を誑かそうとしても駄目だ。 皆はそこまでして、私を颯紫から離したいのか?」
凄みをもった声で、孫権は自分の下にいる女に聞いた。 女は怯える様子見せず、一つ溜息をつく。
「ええ、そうです。 殿が日々白昼夢を見るように過ごし、一つも政務に手付かずでは誰もが何とかしようと思うのが当然でしょう。 殿が想われている方を今すぐ忘れろとは言いません。
しかし、もっとそのお心お開きになって、他の殿を慕う者を見てくださっても…」
「そなたが、私を慕っているのか?」
驚いたように、孫権は女を見た。
「ええ」
顔を赤らめ、女は孫権を見つめる。 そんな彼女を見、孫権の中で彼女を見る視点が変わった。 よく見れば、姿形整っており、演技とはいえ、呉の君主に馬乗りになるとは度胸がある。
彼は彼女に対し、興味が湧き始めてきた。 颯紫のことは忘れることが出来ない、しかし、この女のことをもっと知りたくなり始めた。
「そうか、ならば今日から、私の傍に侍ればいい… 名はなんと言う?」
其れを聞き、女は更に顔を赤らめ、嬉しそうに答えた。
「丁、丁霧季です」
そうして、丁霧季は孫権の傍に侍ることになったのだ。
<完>


↑蓮鹿さんから、リンク記念に頂きました。孫権と丁 霧季のお話です♪
 丁 霧季と孫権さんのラブラブのお話でしたね(*^_^*)
 この話は、蓮鹿さんがHP
「放蕩三昧」で書かれている独自の三国志小説シリーズ中の設定で書かれて
 います。颯紫(きらな)・玲流(れいる)というのも、蓮鹿さんの小説に出てくる人物です。
 詳しく知りたい方は、蓮鹿さんのHPへレッツゴー!
 素敵な小説をありがとうございました!

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