『来たよ張遼』(アニメ・パーマン主題歌『きてよパーマン』の替え歌)
張遼 張遼 張遼〜 合肥でおびえる声がする 来るな張遼 殿のところへ 来るな張遼 津(わたし)のところへ 後に伝わる 遼来々 張遼 張遼 張遼〜 征(ゆ)くよ 待ってて〜 宿敵になろう 魏と呉 力と力 ぶつけて勝負をつけよう この土地で 張遼 張遼 張遼〜 来たよ 我(われ) 張遼 (張遼〜)
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↑建安二十年(215年)八月、十万の兵で合肥を包囲した呉の君主・孫権でしたが、 攻めても合肥が降らず、帰還を余儀なくされたところが、撤退時に魏の名将・張遼の 急襲を受け、孫権は窮地に立たされます。配下の将・凌統らが死に物狂いで防戦 する間に、孫権は馬を駆けらせ津(渡し場)の橋を渡り切り(橋の南端が途切れていた ので、そこを馬で乗り越え)、命からがら逃げのびたということです。 張遼の活躍は呉人に大そう恐れられ、呉の親は泣く子を「遼来々(張遼が来るよ)」と あやす(おどす?)ほどであったとか。 そんな張遼さんの格好良い見せ場であり、史実でも演義でも屈指の名場面である 遼来々を…こんなギャグにしてすみません!!石を投げられる前に謝ります(^^;;; 合肥に征ったのは呉の方で、張遼はそれを迎え討つ側ですし…。 『来たよ 我 張遼♪』なんて明るく歌って現れられても、色々な意味でコワくて、 孫権も呉の兵士も真っ青になるでしょうね(汗) |
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