兄弟

――『父上はね、戦で亡くなったのよ…』
   『どうして?』
   『戦とはね、恐ろしいものだからよ。…人の命を奪うの。そしていつもね、奪われる危険が伴うものなの』
   『…いくさ…』
   『覚えておきなさい、翊。戦とはね、恐ろしいものなの……』――


「……戦とは…恐ろしいもの……」
 孫家の三男・孫翊は、小高い丘の上でポツリと呟いた。
 何故だかわからない。
 ただなんとなく、ふと思い出した言葉。
 父が亡くなった時、母は涙を浮かべて息子たちを抱きしめ、言った。
 『戦とは、恐ろしいものなのだ』と。
 幼い翊には、意味を理解するまでには至らなかった。
 それゆえに、言葉だけでも覚えようと、心の奥で何度も繰り返した言葉。
 そんな言葉の意味も、今ではよくわかる。
「…死が…隣り合わせだから……」
 何気ない呟きは、風にさらわれていった。


 いつまでそこにいたのか、既に日は傾き始めていた。
 そこへ。
「叔弼っ…叔弼っ!」
 少し離れたところから、よく聞き知った声が響いた。
 孫翊のすぐ上の兄・孫権が、走ってこちらに向かってくるのが見える。
 その様子に、孫翊は自然と笑みが浮かんだ。
(…なにか良いことでもあったのかな…?)
 全速力で駆けて来る孫権を、孫翊は楽しそうに見ていた。
「叔弼っ!!」
「なんだよ権兄。そんなに息切らして…。なんかあったのか?」
 ぜいぜいと肩で息をしていた孫権は、ぱっと顔を上げて嬉しそうに告げた。

「……え…?」

「『え?』じゃない、本当だってば。ついさっき、兄上が俺に言ったんだ」
 孫翊は兄の声など耳に入らないかのように、呆然と宙を見ていた。
(…権兄貴が……戦に行く…って。それって……)
 孫家の息子である限り、戦に行くという事は、いつかは訪れる運命にある。
 でも。
(……この兄貴が……?)
 そんな弟の気などつゆ知らず、孫権はそれはそれは嬉しそうに話しつづけている。
「…なんで?」
「うん?」
「…兄貴は、戦に行きたいのか?」
 ようやく弟の様子に気付き、孫権は不信げな顔をした。
「なに言ってんだ?やっと兄上の力になれる時が来たって言ってるんだ。嬉しくないわけないだろう?」
「兄貴なんて、俺より弱いじゃん」
「なっ…!」
 あまりの言い草に反論しかける孫権だったが。
「兄貴の馬鹿っ!!」
 それだけ言うと、孫翊は逃げるように駆け出していった。
 残された孫権は、ただ呆然と弟の背中を眺めるしかなかった。


 それからというもの、孫翊は孫権を避けつづけた。
 孫権は孫権で、声をかけようにも言葉が見当たらない。
 一体なにをそんなに怒っているのか。
 大体、馬鹿とはなんだ馬鹿とは。
 孫権は一人そんな事を思いながら、自室で書を読んでいた。
 そこへ。
「……権兄上」
「?匡」
 孫匡が心配そうにこちらを見ていた。
「どうした?」
 笑みを浮かべ手招きをすると、弟はするすると室に入ってきた。
「翊兄上が、策兄上に呼ばれてました」
 突然の翊の名に、思わず笑みが消える。
「…翊が兄上に?…どうして?」
「そこまでは知りません」
「そう…か」
 ふと悪寒が走る。
(もしかしたら、翊にまで出陣命令が下った…とか?)
 いくらなんでも、そんな事はありえない、と思いつつも、妙に不安は広がるばかり。
「…ちょっと兄上のところまで言ってくる」
 言うなり孫権は部屋を飛び出した。


「…それで権のこと避けてたのか」
「……だって、権兄は」
「気持ちはわかるよ」
 一方孫策の方は、孫翊の肩を軽く叩いた。
「お前がこの先ずっとその気持ちを忘れさえしなければ、それでいい」
「策兄?」
「戦に送り出す方の辛さを覚えておけば、いざ自分が出陣するって時に、必ず良いほうへ導いてくれるさ」
「…うん」
 にっと笑んだ孫策は、ふっと視線をそらした。
「…それにしても権のヤツ、考え無しもいいところだな」
「だろ?あの馬鹿兄貴、嬉しいなんて言いやがったんだぜ?」
 そこへ。
「兄上、権です。よろしいですか?」
「おう、入れ」
 入ってくるなり孫権は、孫策に言った。
「あの、兄上…。その、翊はまだ子供です!」
「…は?」
 なにを言い出すんだとばかりに、孫策と孫翊はあんぐりと口を開けるが、孫権は気付かずに続ける。
「戦はまだ早いと思われますが」
 室内に奇妙な沈黙が流れた。
「…なに言ってんだお前…?」
「え…?」
「誰が翊を戦に連れてくなんて言ったんだ?」
「へ?」
 事の次第が今一つ掴めない孫権に、孫翊の言葉が止めを刺した。
「俺、戦になんかまだ行かないよ」
「あ…れ?…なんだぁ、そっか、違ったのかぁ」
 思わず間の抜けた声をあげた孫権の後ろで、笑い声が響いた。
「匡」
「権兄上ってば、翊兄上が戦に来いって言われたんじゃないかって、慌ててこっちに来たんですよ」
「わっ…馬鹿、変なこと言うなったら」
 くすくす笑う孫匡に、孫権は思わず怒鳴った。
「へぇ、権は俺が翊を軍に呼ぶとでも思ってたのかぁ。心外だなぁ、まだ年端も行かない翊にまで従軍させるような
 鬼だと思われてたのかぁ」
 引きつり笑顔の孫策に、孫権はひたすら平謝りだった。
「ま、あれだ、これで少しは送り出す方の気持ちがわかったろ?」
「…まぁ、そうですけど」
 少し頬を引っかいて、照れたように孫翊を見た。
「ごめんな、翊」
 孫翊はここぞとばかりに言い放った。
「全くだな、権兄は人の気持ち考えるのが下手だろ?そんなんじゃモテないぜ?」
「翊〜っ!!」
 その声に、ふっと孫翊は微笑んだ。
「死んだら許さないからな」 


 これは兄弟四人ともが存命の時の、ささやかな挿話。
                                           <END>
↑東雲 右京さんから、右京さんの運営されている「Royal Graffiti」でキリ番3000をゲットした記念に頂きました!
 私の「孫翊が主役のお話を」というリクエストに答えてくださり、こんなに素晴らしい作品を贈って下さいました♪
 兄が戦に行くことを心配だからこそ、戦に行くことを喜んでいる兄に腹を立てる孫翊。
 その言葉や態度が、本当に孫翊らしい心配の仕方で…兄を心配する気持ちが伝わってきました。
 そして、勘違いとはいえ孫翊が戦に出ると聞いたことで、送り出す側の気持ちに気付いた孫権。
 弟達を見守るやさしい孫策に、可愛い弟・孫匡。
 孫家の四兄弟は本当に仲が良くて、魅力的ですよね♪素敵なお話をありがとうございました!

 

                                 (戻る)

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送